【戸数 人口 面積】なお、参考に他の統計をあげると、明治六年浜松宿の戸数三千六十七戸、人口一万一千百三人、本坊二十五(『遠江国地誌小成』)で、七年は三千百三十七戸で人口一万一千四百十四人(『静岡県県治紀事本末』)、十三年八月には戸数三千四百六戸で人口一万二千七百九人、十五年の総面積は約三百五十町二反八畝(前頁表参照)となっている(旧侍屋敷は約六四町三畝で二五%、旧町人屋敷は約一九三町四反三畝で七五%にあたる。この数字は江戸期でも大差はなかったと考えられる)。【一戸坪数】また一戸の地所と坪数については「最繁盛之場所ニ於而地所三拾坪ヨリ五拾坪マデ、建家拾二三坪ヨリ二拾坪位迄」とあり、その大凡が察せられる(「浜松県記録」『浜松市史史料編六』)。
【市街化】このころになると伝馬で栄えた伝馬町の戸数は江戸期と比べると目立って減少し、旧侍屋敷も士族の移動により全体的には戸数がやや減じてはいるが、宿の中心街に近い年行事(司)・下馬場・元目、ことに元城内(城内ともいう)は小学校・中学校(第三節第一、二項参照)・裁判所などの創建をみて著しく市街化が進んで、戸数も三倍近く増加している(『浜松市史二』参照)。