士族の配置

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 移住の詳細はよくわからないが(三方原へ移住した原川重左衛門の場合は「駿府表移住之義」がかなったのは慶応四年八月であったという)陸路で来るもの、海路で掛塚へ着くものがあったが、受入施設があるわけでなく、浜松へ来た者の多くは浜松藩井上氏が新封地上総国へ移っていったあとの侍屋敷に配置されたが、なかには同居したり町屋に一時下宿するものもあった。また明治三年六月に内野へ移住のため浜松入をした八王子千人同心衆の場合をみると、後道(うしろみち)(一軒)利町(とぎまち)(一軒)新町(一軒)平田(なめだ)町(二軒)池町(一軒、明光寺)旅籠町(一軒)田町(一軒)肴町(四軒)愛宕(あたご)下(一軒)馬込村(一軒)舟越村(三軒)天神町(二軒)植松村(一軒)佐藤村(三軒)鶴見村(一軒)安松村(六軒)古川村(二軒)という宿割であったという。