石川倉次

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 つぎに浜松に関係のあった士族について述べよう。浜松藩出身の士族で名をなしたものに、盲人のために日本点字を創始した石川倉次(安政六年一月生、昭和十九年十二月没、八十六歳)がある。浜松名残組屋敷(亀山町七五、士族伊藤脩一の居となる)に生まれ、藩主の国替で明治元年十歳のとき上総(鶴舞)に移った。名残の家は街道の西側にあって、近くの白和屋という居酒屋へ祖母に連れられ湯豆腐を食べにいったり、佐鳴湖(さなるこ)岸の小薮へ蜆とりにいった、と追懐している。明治三十六年八月に天林寺の祖母の母石川とよの墓へお参りにきている。倉次の頌徳碑が浜松市立中央図書館にある。もと鴨江の盲学校に在ったものである(『石川倉次先生伝』『浜松市史二』)。