中島登

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 異色の人物に、浜松紺屋町に明治十七年銃砲火薬店を創めた中島登(明治二十年四月没、五十歳、墓天林寺)がある。武州南多摩郡西寺方村生まれで八王子千人番士であったが、隊を脱し「京地新選組に同志して、我長より武相甲三ケ国の地理並び人気をはかる事仰せつけられ」(明治二年父宛書信)幕府瓦解後奥州を転戦、函館戦争で降服、徳川藩に引渡され、遠州白須賀で農業をかね剣術の指範をしていたが、上京を志し浜松まで来たところ、肴(さかな)町でたまたま旧知大島清慎にあい、すでに武士の時代が過ぎていることを知らされ、浜松居住を決意し浜松肴町魚惣(沢木寅八)の女(むすめ)よねを娶り、銃砲店をひらいた。銃砲は八王子千人番士の職務の一つであったためである。当時流行の葉蘭の栽培法を研究し、明治十四年秋、浜松の鈴木浦次とともに『葉蘭見競鑒』一葉を発刊している。