堀留運河

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 【上新町 船溜】さて、浜松では伝馬所の廃止によって伝馬町は交通の中心地としての地位を失ったが、その代わりに堀留運河の開通によって浜松の新しい玄関口の観を呈するにいたったのが運河の始発点の上新町であった。上新町は明治八年十一月には火災があって十七、八軒焼失したこともあったが、川島屋とか大海屋という茶店や(「温徳日記」『新居町史』)、料理屋(一戸)居酒屋(一戸)すし屋(二戸)煮売店(三戸)ができ、車力業者も六軒あって賑わった。浜松の伝馬町の宿屋あたりから宿引が出て送迎の提灯の灯が美しく、その景は「曲折欄干俯緑漪 美人臨暁費紅思 生憎十五橋頭水 纔送郎来又送帰」(宮原廉『浜松雑詠』)とうたわれるほど趣きがあった(第二節第一項「堀留運河の開掘」参照)。