【四年三月】政府が郵便業務を開始したのは明治四年三月であった。浜松の郵便取扱所はその郵便業務の始まった明治四年三月一日に浜松宿伝馬町(明治十三年の史料に四十三番屋敷とある)に開設され、取扱人(一等)は川口左又郎(旧浜松本陣家、文政十二年生)が任命された。浜松と同じ三月一日に創設された取扱所には、白須賀・荒井・見付・袋井などがあり、すこしおくれて舞坂・中泉、翌五年に気賀、六年には二俣(ふたまた)・懸(掛)塚・笠井、七年に新居・三ケ日・堀江とひろがり、遠くは水窪(みさくぼ)・浦川までが開設している。「東京より浜松迄 十八時壱分 ちん七百文、西京より浜松迄 十七時八分 ちん同断、大坂より浜松迄 廿時九分 ちん八百文」と記している(『松坂春英雑記』)。しかし明治六年五月には全国飛脚業者の信書送達が停止され、この年全国均一料金制となり、浜松県は十月に「道之遠近ニ拘ラス書状ノ目方弐匁迄を金弐銭(以下省略)」と布達している。さらに十六年には「郵便条令」によって書状二銭、はがき一銭という全国均一料金制が行なわれ制度的に完成する。