浜松電信分局 浜松測候所

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 【八年】明治八年九月二十日、工費六百八十一円八十四銭八厘をもって浜松電信分局(木造平屋建、明治三十四年二月局長官舎となる)が浜松宿伝馬町(八六番屋敷―明治十三年史料)に開局した。これにつき工部卿伊藤博文は「今回浜松県下に於て電信分局仮設本月二十日より為試通信取扱候条音信料の儀は本年第五号布達表面の通可相心得此旨布達候事」と布達を出している。開設当時技術員二名、配達員一名、取扱数も発信・着信あわせて一日平均二十通程度であったという。当時の電報料は二十字まで浜松から静岡間六銭、東京間十二銭、豊橋間六銭、名古屋間八銭、大阪間十六銭で、十字増すごとに半価を増し、配達料は二里(約八キロメートル)以上は一通につき一銭五厘であった。十八年七月一日には同一市内は十字以内五銭、以上十字増す毎に三銭、市外は十字以内十五銭、以上十字毎に十銭という電報料金均一制が実施された。なお明治十五年十一月には電信局内に気象観測器機が据えつけられた。これが浜松測候所のはじめであった。