遠州灘ではしばしば船舶の遭難があったが(『浜松市史二』参照)、ことに有名であったのはゼームス号の難破事件があった。【八年八月 福島村】これは明治八年八月十日、折からの風波のために外国帆船が長上郡福島村(当市福島町)の海岸に座礁した事件で、これに気づいた村民たちによって、乗組員全員は無事救助された。早速、戸長山田斧治郎の指揮で、手当を加えたが言葉が通じない。村からの急報で浜松県庁から官員仁尾将が、英語の心得のある平野又十郎とともに駈けつけ、救助したのは英国人で舟はウィリアム・コットンを船主とする積載量六百トンの貨物船ゼームスペートン号であることが判った。このとき村民たちの炊出し米一斗二升代金一円八銭、但一升九銭、薪炭代二十五銭その酒肴代若干だったという。
【収容所】乗り組んでいた船主夫妻と船員十二名は戸長山田斧治郎宅、副戸長内山林蔵宅、観音寺へ収容した。不自由の日用品の台所用具・椅子などは座礁している船から運んで用を足したが、牛乳や鶏卵など食料品の調達にはたいへん苦労したという。滞在約一か月、乗組員たちが村民の扱いに感謝しながら横浜へ引揚げたのは九月中旬であった。