戸長山田斧治郎ら三十六名が命によって浜松県庁へ出頭したのは十月五日で、「船主並乗組之者共困難之節」「行届タル扶養ヲ受候段ハ、於同国公使深ク感喜致候旨ヲ以、官員並該村(福島村)之者共ヘモ謝詞申通様依頼有之」という外務省より林県令へあてた礼状の伝達があって、三十六名には金百円が授与された。【記念品】また英国へ帰った十四名からの志ということで英国公使館を通じ、副戸長内山林蔵へ水差(一個)、観音寺住職山田宗山へ台(一個)・壜(三個)、戸長山田斧治郎へは台(一個)・菓子器(一個)・コップ(六個)・壜(二個)が授与された。いずれも切子硝子(きりこがらす)製の見事な品であった(山田家の家蔵となっている)。
難破の船は、掛塚村林文吉を代表とした武州横浜万代町の村上喜代治が千五百四十円で落札し、器械等は取りはづしたが、船体はそのままで、風浪のためいつか埋没してしまった、という(『山田家文書』、山内泉『ぢえいむすぺいとん号』)。