【利町】明治七年一月に県立浜松病院と改称し、四月には利町(二二番屋敷、現在の浜松市民会館の東側)に新築された。組織は医局・薬局・俗務局(事務局)の三局で名実ともに本格的医療の開始であった。【太田用成】初代院長はこの年の暮に赴任した太田用成であった(信州飯田藩医太田家の養子、横浜に出て米人医師について医学と英語を学び、浜松病院の院長となった。一時帰郷したが明治二十年再び浜松病院長となり、明治二十四年浜松病院の廃止により辞任した。その後大工町で医院を開業、明治四十五年七月没、六十九歳、墓所は浜松市鹿谷町の松林寺境内のキリスト教墓地)。九年、静岡・浜松両県が合併して静岡県となると、県立病院が増設されて五病院(韮山・吉原・静岡・掛川・浜松)となり、浜松は第五の病院となった。
太田用成