教科書は西洋医学の本格的な教科書が国内になかったので、太田用成・柴田邵平・虎岩武らは米国ペンシルバニア大学教授ヘンリー・ハルツホルン博士の著書『CONSPECTUS OF THE MEDICAL SCIENSE』を翻訳し『七科約説』と名づけて出版し、使用した。七科とは解剖・生理・化学・薬物・内科・外科・産科の称であった。上下二巻より成り、いずれも菊判5号一段組で、上巻は明治十一年五月版で九百四十ページ、下巻は十二年四月版で付録付きの千百七十ページ、上巻に二百五十七個、下巻に二百二十個の木版画が挿入されていた。この木版画は出版元開明堂の鞍智逸平の彫刻に成るものであった。上下合わせて八円三十銭、当時としては高価であったが全国で評判となり、長く医学界で使用された(内田六郎『七科約説』)。
七科約説