伝染病

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 明治初期に浜松地方に流行した伝染病には天然痘とコレラがあった。
 
【天然痘】種痘は明治六年に会社病院が設立されると「貧富ノ別ナク施行」と条例化され、その業務は県立浜松病院へも受け継がれていった。また一般の開業医(『高林日記』に明治十一年五月村尾春洋種痘の記事がある)にも普及し、制度も整っていった。【コレラ】コレラは明治十年の西南戦争出征軍人により全国的に広がり、浜松地方にも発生(浜松宿女一名、早出村男一名、伊場村男一名)をみたが、十二年には全国的の広がりをみせ、浜松地方でも長上郡四十一名(死亡三〇名)、敷知(ふち)郡三十四名(死亡二〇名)、引佐(いなさ)郡三名(死亡一名)、浜名郡一名という大流行になった。コレラに対する知識・予防・消毒等の無知が原因であった(『明治初期静岡県史料』)。【隔離病舎】浜松が菩提寺(現在の三組町)付近に隔離病舎を設けたのも明治十一年六月であった。