このため全国的に衛生思想の普及が叫ばれるようになり、浜松でも県下にさきがけて十六年九月の田町玄忠寺における遠江私立衛生会の発足となり、岡部譲を会長として遠州地方の医師と有識者を網羅し、平野屋(浜松伝馬町)方の鈴木鐸郎(士族、写真家)寓居を事務所とした。私的な団体であったが、会員の獲得にもつとめ(「会員募集稟告」)、しばしば報告会を開いたり『衛生雑誌』を発行したり、十九年のコレラ流行の際にはコレラ予防の一枚刷注意書を印刷配布して活躍した。また西遠医会があり、浜松では最初の人体解剖をしている(菩提寺に明治十五年三月建立の碑がある)。