この時代、印刷技術ことに活版印刷の導入は、文化の普及に貢献することが多かった。
浜松宿の印刻師には幕末のころ『志学抄経』(嘉永二年版)を印刻した山崎十左衛門、明治の初期に旅籠町開明堂鞍智逸平、池町士族浅川行篤、下垂町士族山下忠順などがあった(「松坂春英雑記」『浜松市史史料編五』)。【開明堂 鞍智逸平】このうち鞍智逸平は静岡県下でもいちはやく活版印刷を採りいれたひとりであったという(『静岡県印刷文化史』)。逸平は浜松県の御用出版所を引きうけ、明治六年二月にはその委嘱で『管内士族平民心得書』を木版で印刷したが、活版印刷は「浜松県が使用していた機械の払下げをうけ」(『開明堂50周年記念誌』)開明堂内に印刷部を設けたのがそのはじめで同七年であったという。この開明堂がその活版印刷を用いて作った書籍に『七科約説』(前述、第六項)上下二巻があった。