神社制度の整備による神官の世襲禁止と上知令とは神社の経済的基礎を失うことであり、ことに徳川家の庇護の厚かった五社神社と諏訪神社(いずれも浜松利町、朱印高三〇〇石)などはその打撃が大きかった。【森家 杉浦家】五杜神社は県社に列せられ岡部政美(伊場村)が祠官(五年)となったが、江戸以来の神官森家(美次郎―徳太郎。邸宅は平野家の所有となった)は失職し、村社となった諏訪神社の大祝杉浦家(譲―幹―正幹。邸宅跡は裁判所となった)もやがて浜松を去ることになり、両社は宿内の氏子や有志の庇護によって支えられるにいたった。このような動きのうちに、官幣中社井伊谷(いいのや)宮(祭神宗良親王、引佐郡井伊谷村)が明治五年造営されたのは特筆すべきことであった。
諏訪神社(浜松市利町,現在市民会館敷地)