[教派神道]

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 つぎに教派神道について述べよう。
 加持祈禱による現世利益を説いて民衆の信仰を集めていた仏教(真言宗・修験道など)が衰えたため、それに代って盛んになったのが教派神道であるといわれている。
 
 【禊教 神道修正派 天理教 扶桑教】明治期に浜松に教線を広めたのは明治十一年の神道禊教(遠江分院、元城)を最初とし、神道修正派(明治十三年、支局元城)・天理教(山名教会浜松分教会、明治二十五年、東伊場)・金光教(浜松教会所、明治二十五年、砂山)・神道扶桑教(聖徳孝行分教会、明治四十一年、佐藤)などであった。大正期にいたって急速に伸長し、大正末期に教会数十八、信徒一万九千四百五十八人、そのうち天理教四十六%、神道禊教三十六%であった。