町政批判派 町会議員分裂

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 さきに町会議員が選出されると町民の中には新議員の態度を非難するものがあり、『東海暁鐘新報』もこれを記事にするというわけで、二十二年八月二十九日田町の玄忠寺の演説会には会するものおよそ百五十名、「議員ニ対シ信認欠乏ノ動機ヲ起ス」にいたった。ついで九月四日にいたり町会議員十二名の連署による辞職届の提出となった。このような事態になっては議員の職責を果すことができないという理由である。ここに於て町会議員のうち、辞職を是とする十二名(中村藤吉・田中五郎七・伊藤擇・宮本甚七・河合徳平・鶴見信平・伊東宗作・木村安次郎・山崎金重・田中太五郎・田畑勝次郎・袴田京次郎)と否とする十二名(小西四郎・川口栄三郎・樋口弥一郎・谷野治平・中村忠七・川瀬豊三郎・白木健二郎・近藤弥市・伊東弥恵茂・松下太平・内田政治・杉浦彦惣)との二派に別れ、辞職を非とし町長内田正に賛成する一派からは町会解散論が唱えられるにいたり、紛擾は議員同志の内紛にまで発展し、ついに十一月八日町長内田正の辞職届提出となった。ここにおいて太田用成・小野江善八・福島豊策・金井善江・乗松保吉・本多五十司・田畑庄吉らの調停となり、ようやく「内田正氏ヲ除クノ外議員助役共悉皆解職」ということで、同月二十三日にいたり妥決をみた。