行政訴訟事件

180 ~ 181 / 729ページ
 町会発足と前後して、二つの行政訴訟がおきた。その一つは明治二十二年四月、浜松町元戸長竹村太郎が元魚の沢田寧に、町会議員の選挙権はないと令達したのが原因であった。不服とした沢田寧は郡参事会に訴願し主張を認められたが、戸長側に反訴されて郡参事会では敗訴となった。【町側敗訴】そこで沢田寧は二十三年十月に浜松町長内田正を被告として行政裁判所に出訴し、同年十一月沢田の勝訴と定まった。
 他の一つは、二十五年六月に浜松町助役竹田右文は、二十五年度地方税戸数割及び営業税雑種税等級額議書を、浜松町会に提出した。しかし町会はこれを議定する必要なしと議決したため、助役は再議に付したが、町会が態度を改めない。そこで郡参事会へ訴願した。郡参事会は「町会ニ於テ議定スベキモノトス」と裁決を下したが、町会はこれに服従する能わずと決議し県参事会へ訴願。七月に「郡参事会ノ与ヘタ裁決ハ取消スベキ限ニアラズ」と裁決された。【町会敗訴】浜松町会は県参事会の裁決を不当とし八月行政裁判所へ訴願、十一月九日に町助役竹田右文に対し「請求相立タス」と宣告があり、町会側の敗訴となった。
 浜松町政事件といい上述の行政訴訟事件といい、いずれも町制を施行したばかりの町政運営の不馴れからおきた事件であった。