【浜松商業学校】明治三十一年度 紺屋町の町役場土地の払下、本町電灯事業臨時調査委員の設置、臨時下水改良調査委員選出、天竜川分水事業各町村合同測量、二俣西街道田鳥居際より曳馬村界までの修理、浜松簡易商業学校設置(現在の静岡県立浜松商業高等学校の前身)、元城製糸場脇に新道設置、元城官有地(裁判所舎)を小学校敷地に買収、本町教育展覧会を男女両小学校に開催費用支出の件を可決した。
【鶴見信平】町長は中村忠七が二期勤めたのちは小西四郎(明治三十五年二月二十七日就任、三十六年二月十二日辞職)・竹山平八郎(明治三十六年二月二十六日就任、三十八年五月九日辞職)とうけつがれ、鶴見信平がそのあと二期(明治三十八年七月二十七日就任、四十二年七月二十五日満期、四十二年七月二十五日再選就任、四十四年七月一日市制施行解職)勤務することになる(町長の在任期間は大正十五年発行『浜松市史』による)。
以上が町制施行後十か年余の町会議事の主な内容であるが、道路の新設、避病院の新設、貸座敷業者の移転問題、浜松商業学校の設置、電灯事業の調査、小学校長の新任といい、町勢発展への力強い歩みが聞えるようである。