政友会

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 町会議員の一級二級の半数改選も、二十五年(第一回)二十八年(第二回)三十一年(第三回)三十四年(第四回)三十七年(第五回)と滞りなく行なわれた。定員も三十六年十二月には三十名(人口二万二〇〇〇人に達したため)となった。【中村忠七 道惣】この間に中央政党の勢力も浸潤し、ことに財閥派の中村忠七(安政四年浜松紺屋町生、連尺町で道具商、屋号道惣、大正十一年十一月没、六十六歳、)が政友会に投ずると、浜松の人士でこれにならう者が多かった。中村忠七は二期にわたって町長を勤め、中村派は浜松政界に絶対的な勢力をもつにいたった。【士族凋落】その反対に今まで町会に巾をきかせていた旧幕臣(士族)山崎金重(浜松城内)らの勢力は失なわれていった。中村派が勢力を得てくると、はしなくも起ったのが明治三十四年八月の浜松町政研究会事件であった。