当時、東海道線使用の機関車・客車等の修理点検工場建設の必要を認め、名古屋又は浜松を候補地として選考中であった鉄道当局より、浜松周辺の沿線に適当な土地の物色を静岡県知事に依頼のあったという内報を浜松町が得たのは明治三十九年であった。これは地元資本の小規模な織物業を主とした地場産業しかもたなかった浜松にとって、このような官営の大工場の建設は浜松将来の発展につながる一大朗報であった。ただちに鶴見信平町長は臨時町会を開いて工場誘致を可決、浜松に隣接する浅場村字伊場を候補地とし、関係機関へも積極的に誘致運動を進めることにした。