【松島廉作】第二回総選挙は二十五年二月、第六区では松島廉作が竹山謙三・近藤準平らを破って当選、以後五回の総選挙に当選し三十五年八月まで第六区衆議院議員の議席を独占した(『静岡県議会史』『静岡県政史話』)。
近藤準平(明治二十八年浜松元城に居住)明治六年浜松学校教員。翌年内務省地理局雇をへて千葉県少属。十年帰郷。十一年県会議員。十三年志太益津郡長。十九年引佐麁玉(いなさあらたま)郡長(明治二十三年辞任)、第一回衆議院議員に当選。浜松に己卯社を創め社長となる。民選郡長といわれた(『嶽陽名士伝』)。松島廉作(安政三年八月豊田郡三川村生、金井氏)長上郡松島村(五島村)の素封家松島五右衛門家の養子となり、東都に学び帰宅。戸長(富屋敷村外十四か村)をつとめ、政界に入り十九年県会議員、衆議院議員として名を知られた。