日清戦争はわが国が初めて経験した対外戦争であった。浜松地方の壮丁は名古屋の第三師団の主として豊橋歩兵第十八聯隊に属して出征した。【浜松駅接待】これを町会の動きでみると、明治二十七年八月浜松駅を通行する軍人接待費の支出を可決、十二月広島大本営へ天機伺、戦勝祝賀奏上のため町長を代表として派遣、翌年三月関係師団長旅団長聯隊長に感謝状送付、四月清国大使李鴻章(りこうしょう)負傷につき慰問電報発送、五月は講和条約成立の祝賀表を奉呈、続いて町をあげての戦勝祝賀会を挙行した。浜松町出身の従軍者九十五名で戦病死者五名であった。【銃後後援】町民もまた浜松町兵員保護会を二十七年八月創立、出征軍人の送迎に、恤兵費の献納に、軍人家族及び遺族の慰籍保護によく力を尽した。