また、その村に住み地域のために尽すものもすくなくなかった。その主なものをあげると、前述の金原孫四郎をはじめ①桑原楯雄(大正七年没、六十七歳)芳川村都盛。真清の子。村の風俗の矯正、また磐田郡長として郡有林の経営に功があった。②伊藤豊太郎(昭和十四年没、七十七歳)蒲村。三遠農学社に入り、村に報徳社を創め、養蚕の私立伝習所を開く。③三輪孫平 芳川村都盛。明治二十二年芳川村報徳社々長。天竜川の水防に尽し肥料買入組合を設立。④鈴木勝十郎(文久三年生)飯田村上飯田。飯田村報徳社々長。教員。明治二十二年同村々長。⑤松島佐弾治(嘉永六年生)市野村上石田。明治八年自村に報徳社創立。天竜川水防に尽す。明治二十四年市野村々長。⑥松浦都次郎(文久元年生)天王村中田。西遠農学社々員。養蚕に貢献。教員。⑦高部千和伎(明治十八年没、六十二歳、明治三十九年五月頌徳碑建立)志都呂村。村社周囲の荒地に松杉の植樹。⑧宮本良作(大正九年没、六十五歳、大正十二年頌徳碑建立)和地村。青年婦人の指導に尽した。教員。【中村陸平】そのほかに⑨富田林太郎は都田村谷上、⑩杉浦勘三郎は領家、⑪中村陸平は天神町、⑫杉浦藤一郎は佐藤、⑬水谷熊吉は相生、⑭今泉清作は田町、⑮竹村又一郎は入野、⑯新村貝作は堀江、⑰中野育登は白洲、⑱鈴木伝平は老間(天竜川堤防修築、大正四年頌徳碑建立)などがあった(呉松鹿島神社境内には明治二十七年四月、和地・堀江・白洲の三結報徳社によって建てられた記念碑がある)。