資産銀行は、資産金貸附所がその前身。【二十六年 竹山謙三】明治二十二年普通銀行となったが、浜松伝馬町一三一番地に移り資産銀行を称したのは二十六年二月で、頭取は竹山謙三(嘉永三年十月長上郡下堀村生、父梅七郎、報国隊員、二俣紡績会社創立、県会議員、敷知長上浜名郡長、大正二年三月没、六十四歳)であった。【大正九年】三十一年二月笠井銀行を、さらに和田銀行を合併、業務の拡張にともなって浜松鍛冶町二四一番地に本店を新築、大正期に入り、西遠銀行と並ぶ銀行となったが、浜松発展のためにも二行の対立は無用との議がおこり、大正九年六月には遠州銀行と合併し、県下でもっとも古い歴史をもつ資産金貸附所以来の本行もその歴史の幕を閉じることになった。
普通銀行とは別に、政府が国民の勤倹貯蓄を奨励するために設けた貯蓄銀行があった。浜松の遠江貯蓄銀行と浜松貯蓄銀行がそれである。