銀行の得失

219 ~ 219 / 729ページ
 【一部富豪のみに有利 銀行の害】このような金融機関の発達は、たんに浜松地方のみならず県下の産業の発展に貢献することが多かったが、しかしこれを利用し得るのは一部の富豪のみに限られ「不動産無ケレバ到底望ヲ寓スベカラズ。為是、上等社流有力者ノ為メニハ独リ便ニシテ、其細民ニ至リテハ不動産ノ所有無之キガ故ニ銀行巨万ノ金ハ毫モ流融ヲ需ムルノ道無ク、又偶々富有者ニ其流融ヲ請ヘハ其金総テ銀行ニ在リ、如何トモスヘカラサルヲ口実ト為ス等銀行却テ細民ノ流融ヲ拒ムノ媒介トナリ、其不便昔日ニ百倍シ(中略)銀行ノ便益大ハ則チ大ナリト雖モ、其害ノ及フ処又大ナリト言フベシ」というのも事実であった(明治十六年『関口元老院議官地方巡察復命書』)。なお、明治四十四年浜松市内に本店のあった銀行は前頁の表のとおりである(『浜松商工会議所六十年史』『浜松発展史』『静岡銀行史』)。