商工会議所

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 【昭和二年】その後三十五年三月浜松町以外の町村を分離したり、昭和二年に商工会議所と改名して組織の変更があったりしたが、やがて戦時に入ると経済の実情に添わないものとして昭和十八年九月三十日解散、静岡県商工経済会浜松支部へと改組されるのである。
 その間、およそ五十年間、浜松の商工業者の代表団体とし、指導機関として浜松地方の産業経済の発展に寄与することが大であった。明治から大正へかけての貢献者に、前記の発起人ほか内田政治・林弥十郎・樋口林治郎・織田利三郎・桑原為十郎・宮本甚七・松本半蔵・大野木代次郎・津倉亀作・金井桂次郎などがあった。
 会議所の位置は最初浜松町鍛冶一一五番地にあったが、明治二十八年には浜松町利(とぎ)五番地(五社小路)、越えて三十四年浜松町田一三番地(田町四ッ角)に移り、昭和六年七月まで三十二年間この地に在った。その後、商工会議所は十年七月伝馬町四八番地に移転したが戦災で焼失した。

創業当時の商業会議所


宮本甚七