日本楽器会社

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 【オルガン製作 中村藤吉】日本楽器製造株式会社 山葉寅楠(やまはとらくす)によって創立され、初め山葉風琴(ふうきん)製造所(のちに山葉楽器製造所)と称し、浜松宿七軒町(菅原町)の旧修道学校跡(普化宗の普大寺が廃寺となっていた跡地)に仮工場を設け、明治二十一年三月わずか十人ほどで風琴つまりオルガンの製作を本格的に開始したが、二十二年三月資本金三万円の合資会社を組織し中村藤吉の後援を得て、浜松町八幡地(現在の旭町)に設け、ここに移転して、事業の発展を期した。ここは浜松停車場ができたばかりの新開地であった。【板屋】翌二十三年には内国勧業博覧会に出品し有功二等賞牌を受け大いに意気上り、工場を大字板屋に移した。しかし時運熟せず二十四年合資会社を解散し、山葉の個人経営に移し山葉楽器製造所と改称した。二十七年当時職工数四十九(男四七、女二)であった(明治二十七年『静岡県統計書』)。その間、製作技術も向上し二十五年には初めて輸出、また音楽教育の普及によって需要も増加し、三十年九月には資本金十万円の株式会社となし、日本楽器製造株式会社と改名するにいたった。