日本形染会社

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 【三十五年 宮本甚七】日本形染株式会社 明治三十三年九月に曳馬村船越一色(現在当市船越町)に、出資者宮本甚七を社長、池谷七蔵を取締役兼技師長として創立された。
 前身は三十三年四月に浜松町元城に設立の木綿中形株式会社といい、池谷七蔵の発明になる形付機(片面式中型糊付機)を使用し形染布を製造する目的で設立された会社であったが、水の便をはかって馬込川の沿岸船越に移転し、社名も改称した。当初は技術が幼稚だったので一か年僅かに十一万反内外であったが、三十九年英国式捺染機の技術を導入して改良につとめた結果、販路も支那・印度・南洋方面に輸出するに至り総産額三百余万反、六百余万円に達するにいたり、当初十二万円であった資本金も順次に増加し、大正九年には三百万円の会社となった。

日本楽器製造株式会社(大正年間)


帝国製帽株式会社(大正年間)


日本形染株式会社(大正年間)