【宮本弁吉】彫刻工 明治の初年、金原政章は金物彫刻、後藤岩太郎(作品大黒天、玄忠寺)は木彫の名手として知られ、骨細工では宮本弁吉(士族、浜松移住、元城、明治二十九年十二月没、六十一歳)があり、骸骨を彫刻したものは人々の賞賛するところであった。しかし金物彫刻も政章が東京へ去るに及んで絶え、骨細工も弁吉の死後はこれをつぐものがない。古くは嘉永・安政のころ大工町に大黒の彫刻をよくする人があって、今その一体は奥山半僧坊にあるという。【広沢詫助】また元魚町の広沢詫助は篆刻(てんこく)の名手で、報国隊の印章を製作したという。