農家の副業として特異なものに、十軒新田・中田島・福塚・白羽の太藺(ふとい)栽培による太藺莚(むしろ)(前述、第三項)、高塚から浅田方面の蓮根(れんこん)、入野の注連作(しめづくり)・花売、老間の菅笠(すげがさ)(ピーピー笠ともいった)、薬師新田の笊(ざる)、蒲の紫蘇巻(しそまき)などがあった。浜松付近も町を出はずれると蓮池(はすいけ)が多く蓮根を産した。東若林には桃園があって、蓮池とともに行楽地にあげられていた(大正九年版『浜名之栞』)。なお、明治十四年に蘭(らん)・万年青(おもと)の栽培が流行し、十六年ごろからの安値のため大損失を招いたことは今も語り草となっている(十七年には上島村では戸長が村民にすすめ、そのために損失し身代限りのものも出たという。『静岡大務新聞』)。