浜松町農会 浜名郡農会

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 つぎに農会について述べよう。浜松付近では、すでに町村単位の農会の前身ともみなすべき例えば神久呂の共救社、赤佐(明治十五年)・芳川(二十一年)などをはじめ各村に農談会や、郡単位ともいうべき西遠勧業会があったが、明治二十八年八月県会による農会規則が発布されると、翌二十九年七月浜松では浜松町農会の発足となり、織田利三郎(安政四年生、南庄内村織田家に養子し、浜松田町で雑貨商を営む、華道の師匠、前田正名の指導により四品の生産奨励に力を尽した。大正十二年九月没、六十七歳)が会長に就任(爾後在任三十余年に及んだ)、西遠勧業会は浜名郡農会となった(二十九年九月、会長横田保)。そして三十三年政府による農会令施行によって、各町村のほとんどに農会の創立をみるにいたった(『浜名郡誌』)。【品評会】品評会も催されたが、なかでも明治三十二年八月浜松尋常小学校を会場とした東海実業区五県連合五二会品評会は大がかりなものであった。
 
 【青年団】なお、このころ各村に組織された青年団が農事改良と進歩に尽した功もみのがせない。