耕地整理は明治の後期にいたって村単位などで、例えば神久呂村志都呂(四十年)・入野村西鴨江・篠原村大島(四十三年)・富塚村(四十四年)にはじまったが、県の指導により浜松町他その周辺十四か村による浜名耕地整理組合の創立をみたのは明治四十四年四月であった(会長高林維兵衛)。【馬込川 安間川】そして翌四十五年より馬込川河口設備工事・安間川逆水門工事より着手することになったが、これには反対するものも多く、大正二年九月にいたって、その費用の分担方法等に関する覚書を交換し、妥協が成立したのであった。
耕地整理 浜名郡耕地整理組合