干拓と漁業権

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 【村櫛村】また村櫛村は水田僅かに三十四町で一戸平均一段歩にも達しなかった。そのため耕地拡張は急務とされたが湖面埋立の計画は明治十九年鶴見信平によって創始された。これは一面には村の漁業権採藻権を制限するものであったが、その推進には村民の中にも耕地拡張の必要を痛感するものが多かったことと、土地出身の林弥十郎の斡旋があずかって大きかったという。その結果二十九年三月には水田八町歩の完成をみるにいたり、それが動機となって村民による干拓が進められ、六回にわたって水田三十町歩が増加するにいたった。なお村櫛半島先端部の干拓は大正期以降である(『村櫛村誌』)。