藻草(もぐさ)は肥料として欠くべからざるものだったので、古来しばしば浜名湖岸各村のあいだで紛争のあったことはすでに述べたが(『浜松市史二』参照)、明治維新のさい旧習が打破されすべてが新発足となると、採藻によって生計を立てていた村櫛村はいちはやく明治四年に採藻権確認の請願をした。しかし、これは堀江・呉松・深萩・平松・白洲・細田・上田・乙君・西・内山・和田十一か村とのあいだに、競願という事態をひきおこし、堀江県も処置に窮しいずれ指示を待てということになった。
採藻権確認運動 各村競願