機関庫 列車運転回数

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 【駅舎】浜松停車場を中心とした鉄道敷地は四十五万三千二百三十五坪(明治三十一年現在、『浜松町沿革誌』)、駅舎は北面で、入ると中央は木製の長椅子(いす)を並べた下等(三等)待合室があり、右側には切符売場と上・中(一等・二等)待合室、左側には貨物扱所・駅長室があった。南面に改札所があり、出るとすぐ上り下りのプラットホームという簡素さで照明はランプであった。また駅舎の南方には機関庫があった。列車も開業当時は上り三本、下り三本であった(時刻表および運賃表参照)。「琴ひく風の浜松も菜種に蝶の舞坂も」は大和田建樹の鉄道唱歌(明治三十三年作)の一こまで当時の人々のよろこびをよく伝えている(旧浜松駅舎前にこの歌碑があった)。

浜松停車場

 
(表)名古屋・浜松間列車時刻表
明治29年9月1日付官報

名古屋発豊橋鷲津馬郡浜松着

9.1011.5212.4712.271.05
1.103.524.274.475.05
5.107.528.278.479.05

浜松発馬郡鷲津豊橋名古屋着

5.556.176.377.129.48
1.552.172.373.125.48
5.556.176.377.129.48

 
(表)静岡・浜松間列車時刻表
明治22年4月16日付官報

静岡発掛川袋井中泉浜松着

7.358.579.139.279.45
11.451.101.251.371.55
4.005.185.355.476.05

浜松発中泉袋井掛川静岡着

8.008.198.338.5210.30
11.5512.1312.2512.412.00
5.055.245.375.557.35

(『大日本鉄道史』)
註1 名古屋・豊橋間の熱田・大高・大府・苅谷・岡崎・蒲郡・御油は省略
 2 静岡・掛川間の焼津・藤枝・島田・堀ノ内は省略
 
(表)浜松・名古屋間運賃
明治21年9月1日
区間上等中等下等
浜松―馬郡16銭7銭
浜松―鷲津31銭14銭
浜松―豊橋57銭26銭
浜松―名古屋1円70銭76銭

 
(表)浜松・新橋間運賃
区間上等中等下等
浜松―新橋6円44銭3円85銭1円95銭

【開業成績 日露戦後】開業すると、最初の十年間は年間収入旅客賃七万九千余円、貨物賃七万余円、合計十五万円ほどであったが、日露戦争後とくに浜松歩兵第六十七聯隊が新設されるころから乗降客も増加をみた。【大正期 本館改築 十五年】その後の三年間はほとんど同一状態であったが、大正期へ入ると市の発展とともに貨車及び客車の収入が激増し(下表下参照)、大正九年には機関庫が移転改築、十二年には検車場、十四年にはプラットホーム改造、十五年には本館が工事費百万円によって竣工をみるにいたった。
 
(表)静岡県西部各停車場の開業状況
停車場名開業年月日備考
浜松明治21.9.1浜松以西開業、浜松以東は明治22年4月16日
馬郡明治21.9.1明治24年11月1日舞坂、昭和15年舞阪となる
鷲津明治21.9.1
中泉明治22.4.16昭和17年10月10日磐田となる
袋井明治22.4.16
掛川明治22.4.16
堀ノ内明治22.4.16昭和31年4月10日菊川となる
金谷明治26.7.1
天竜川明治31.7.1明治25年9月20日天竜川貨物取扱所として発足
弁天島明治39.7.11仮駅として開設、5月1日より11月30日まで、大正5年9月1日より常設
新居大正4.1.10
高塚昭和4.7.1信号所として発足

 
(表)浜松駅収入累年比較
年度貨車収入客車収入総収入
明治37年75,550円79,000円154,550円
〃40年104,000 144,000 248,000 
〃43年130,000 164,000 294,000 
〃45年225,000 204,500 429,000 
大正14年651,548 1,028,968 1,680,516