これらの新設道路はいずれも旧来の道路に対し道幅が広く、ことに駅前へ通ずる道は広い部分は二十五間もあって駅前広場と呼ばれた。このほかに肴町大安寺下から田町の玄忠寺裏を経て新川へ架けた橋を渡り前記の板屋町新道へ出る道路(本章第一節第二項参照)も、明治三十年過ぎには開通しこの方面の交通も便利となった。また駅の新設や鉄道線路の敷設によって遮断された道路には踏切が設けられた。【八幡地 平田 十一年】駅のすぐ西から駅南へ通ずる八幡地踏切(大正十一年三月地下道となった)・平田踏切などはその主なものであった。旧来の道路の拡巾も新道路の敷設を機とし、ことに明治二十五年の入枡座(いりますざ)火災後に肴町(幅三尺拡張)・神明連尺並に榎町(幅三尺拡張)・田町(幅四尺拡張)、このほか通称江間殿(えまどの)小路や通称五右衛門小路(南小路といい田町に属した)などもわずかながらも拡巾された。
東海道線浜松駅