【旧姫街道】①姫(ひめ)街道 旧来の姫街道は、県会で明治十二年県費支弁の道路に指定されたが(『天王村誌』)、放置されたままで修理も行なわれず、一里塚も松並木も荒廃に帰したが、明治二十六年関係町村の申請によって県費の補助道路となった。【新姫街道】しかしそののち、浜松神明で東海道国道と別れ、榎町(えのきまち)(紺屋町の一部)・紺屋・高・名残から三方原を経て気賀を終点とする県道静岡気賀線が大正八年に新姫街道と指定された。この線は歩兵第六十七聯隊設置とともにその付近は拡巾され、ことに犀が崖の一部は埋立てられ新道が敷設された。また小豆餅では道が鍵形となっていたが直線化された。