掛塚街道

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 ③掛塚街道 屈折が多く狭いので関係町村が協力して工費を負担し、路線も浜松駅南から龍禅寺・芳川・河輪を経て掛塚へ通ずる計画であった。【三十九年】しかし道路の位置について互に利害関係があり、たとえば芳川村地域では村の西北より東南を中央に貫通するようになっていたりしていたが、長谷川貞雄の調停によって三十九年改修工事が竣工した(『芳川村誌』『河輪村誌』『ふるさと竜洋』)。県道となって浜松掛塚線といった。旧掛塚街道より、ずっと南である。