庄内街道

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 ⑤庄内街道 村櫛街道ともいった。いわゆる浜松都筑線といい富塚・伊左地・和地・北庄内村へ至る道路で、道幅がせまいばかりか三方原丘陵の周辺を通過するので、高低屈曲が甚しく人馬の交通に不便であった。【三十六年】明治三十三年浜松町ほか五か村が組合会を組織し改修工事を行ない三十六年竣工した(『和地村誌』)。富塚村に朝日橋・弥生橋ができたのもこのときであった(『富塚村沿革誌』)。