【二十九年 気賀 鹿島】郵便馬車についてはすでに述べたが(第二章第四節第四項)、浜松に近郊交通機関として乗合馬車が使用されるようになったのは明治二十九年からであった。浜松に設立された速里軒と共通馬車会社という二つの乗合馬車会社の共同経営で発足、往復区間は浜松・気賀間一日八往復(運賃一八銭)、浜松・鹿島間一日八往復(運賃二五銭)であったが、三十一年三月合併して浜松馬車会社と改称した。事務所と厩舎は法雲寺の北の旧速里軒の建物を襲用し、車輌二十八輌と馬三十頭をもって営業、浜松地方における中心的な馬車会社であった。なお浜松・笠井間の乗合馬車交通は明治二十年代にはすでに行なわれていたという。