【三十年】自転車が浜松へ現われたのは明治三十年すぎで、三十四年には新町に自転車商もあったという。しかし当時は輸入車ばかりで一台百五十円ぐらい、庶民にとっては高値の花であった。有玉の高林維平、祝田の伊藤要蔵が愛用したと伝えられているが、三十五年ごろには松木(現在浜北市)から浜松中学校へ自転車で通学する生徒もあったという(小栗逞治『内野周辺昔話』)。四十一年三月には歩兵第六十七聯隊の和地山練兵場に全国自転車競走大会があり、四十五年には浜松市内の自転車は八百六十二台と増加し、国内でも廉価に製造されるようになって大正時代には完全に庶民の足となった。
(表)浜松警察署管内馬車人力車自転車数
| 明治25 | 明治30 | 明治35 | 明治40 |
馬車 | | 36 | 69 | 77 |
人力車 | 24 | 380 | 245 | 197 |
自転車 | | | | 495 |
(『浜松警察の百年』)