明治十九年に三等局として発足した浜松郵便局は、その後利用者の増加にともない、施設の充実が急務となり、二十八年九月には浜松商業会議所による昇格請願となって、三十四年二月にその宿望がかない二等局へ昇格がなった。名称も浜松電信分局(鍛冶町一〇二三番地、十九年二等電信局)を合併して浜松郵便電信局と改称。局舎も浜松町伝馬一一〇番地に移され局員数も定員七十一名となり、集配業務も八時間内外と改善された。それでも手狭となるばかりなので、三十六年四月には浜松郵便局と改称し、翌三十七年十一月浜松町鍛冶一二二番地へ局舎を移転(丸市運送店の建物を借用)したが、大正四年四月浜松市伝馬の法雲寺前(大正十四年五月地籍整理の結果、旭町四五番地となる)に工費五万四千円余をもって新築移転した。通信事務も毎年増加し、一日平均取扱数は郵便においては引受三万二千通、配達三万一百数、小包数二百八十個に達し、電信においては発信およそ九百通に達するにいたっている。この局舎は郵便電信電話の総合局舎として昭和二十年六月十八日の空襲で焼失するまで使用されていた。
(表)浜松郵便局郵便物取扱高
| 発信 | 配信 |
明治12年 | 73,799 | 92,551 |
〃20年 | 126,584 | 149,844 |
(『静岡県統計書』)
(表)明治時代の郵便局
郵便局名 | 成立年月日 |
浜松田町郵便取扱所 | 明治34.3.1 |
浜松菅原郵便局 | 〃35.2.1 |
浜松龍禅寺郵便局 | 〃35.11.16 |
天神町郵便局 | 〃35.11.16 |
浜松高町郵便局 | 〃36.12.10 |
浜松連尺郵便局 | 〃(39.3.22) |
37.12 |
両追分郵便局 | 〃41.5.21 |
笠井郵便局 | 大正6.9 |
堀江郵便局 | 〃7.8 |
中野町郵便局 | 〃9.4 |
富塚郵便局 | 明治36.12.10 |
伊左地郵便局 | 〃37.12 |
市野郵便局 | 〃39.3.23 |
芳川郵便局 | 〃45.6.21 |
郵便局と電信局位置図
浜松郵便局(鍛冶所在当時)
落成式当日の浜松郵便局(大正4年4月)