電話開通

274 ~ 275 / 729ページ
 【四十一年】浜松の電話開通は明治四十一年三月(三十日)であった。
 浜松では三十四年八月以来浜松商業会議所会頭名でしばしば電話業務開始申請が行なわれたが、ようやく四十年十月の許可となり、浜松郵便局の建物の一部を改造し浜松郵便局分室として発足した。五間に三間の二階建で、階下に交換室があり、磁石式単式交換機で主事一名と女子吏員(主として交換手)十六名、交換手の日給は十三銭であったという。【再募集】加入者は百五十六名で、当初の予定数三百名と比し予想外に少なかったので、翌年再募集してようやく二百六十五名になったという。大正時代に入り加入者も増加し、交換事務も一日に平均市内三万二千回、市外発着三千四百回を算し、その利用度は静岡を凌駕するにいたり、大正四年四月に新川沿いに木造二階建の磁石式直列複式交換機を設置した浜松郵便局第二号本館が完成して移転した。そして大正十年には加入者も千三百五十九名となり、十四年には二千に達しようとしている。

電話交換局(大正4年当時)

 なお、この電話分室は加入希望者の増加に対応し、従来の磁石式から共電式へと最新設備にきりかえるため、昭和三年(一九二八)に入って新築工事が行なわれ、四年三月二十四日から新局舎で営業が開始された。なお、その時の加入者数は二千六百四十四であった(浜松電信電話局史『浜電』)。