電力はこのような照明方面のみならず、動力源として浜松地方の工業発達に貢献することが多かった。【野口発電所】同社はその後浜松市の発展につれ大正二年に浜松市野口に千キロワットの火力発電所を設け、電力の供給量を増加している。しかし同社もまた電力会社統合の波をうけ、明治四十四年三月日英水電株式会社へ――同社も大正九年三月早川電力会社へ――同社も大正十四年三月東京電力株式会社へ――同社も昭和三年四月東京電灯株式会社へ合併と変遷をたどっている。
日英水電株式会社(伝馬町)
こうして電力の需要は工業の発展につれ増すばかりで大正時代には多くの発電会社が生まれたが、浜松でも旧浜松電灯株式会社の役員(鈴木幸作ら一九名)が浜松へ電力を供給するため、愛知県北設楽郡(したらぐん)大入川の水を引いて磐田郡浦川村川合に出力四千キロワットの発電所の建設計画を立てたが実現しなかった(佐久間町役場所蔵文書)。なお現在浜松地方の電力供給は中部電力会社一社に統合されている。