浜松瓦斯株式会社

277 ~ 278 / 729ページ
 【四十三年】ガスが浜松へひかれたのは明治四十三年十一月で、その会社は灯火用・熱源用・動力用として、浜松町・天神町村・曳馬村・富塚村を供給地域として設立された浜松瓦斯株式会社であった。市民にとって「栓をひねってガスを出すと、マッチの火を穴のそばに持って行った、とたんにポッと音がして一瞬赤い色をしたと思ったが、それが青白い光となって、今まで見たこともない明るさはまるで昼間のようだった。どこを見ても青白く見えるガス灯は、やっぱりランプよりずっと明る」い光源であった(内田晴康『おまじない物語』)。
 
【砂山町】浜松瓦斯株式会社は、瓦斯事業には先鞭をつけていた豊橋瓦斯株式会社の計画に浜松側から小西四郎らの五名が加わり、本社を製造所のある浜松八幡地(現在の砂山町)において四十三年五月に創立した会社(資本金五〇万円)であった。瓦斯供給開始戸数八百十五戸、灯火孔口千五百二十個、熱用四百八十三個、動力申込は九戸十三馬力で、供給開始は十二馬力であったという(同社『第一期事業報告』)。

浜松瓦斯株式会社(砂山町,昭和初年)

【街灯用】当時のガス灯は電灯(炭素線電球であった)に比してはるかに明かるかったので、四十四年には浜松駅前広場に、四十五年には三十六基が街灯として設置され駅頭に美観を添えた(『社史中部瓦斯株式会社』)。
 
【照明灯より熱源へ】しかし大正へはいってタングス電球の明かるさに押され照明用として需要が減ると、熱源としての需要開拓に努力し、鉄道院浜松工場や日本楽器製造会社などの工場へも供給を始め、ことに大正十五年東洋紡績株式会社浜松工場における瓦斯糸・カタン糸の高級原糸の生産に一翼をにない遠州織物の発達に寄与するところが大きかった。
 
【豊橋瓦斯会社合併】浜松瓦斯株式会社は昭和十八年九月一日戦時下の会社統合により豊橋瓦斯株式会社と合併、中部瓦斯株式会社浜松支社となって今日にいたっている。