衣生活

278 ~ 279 / 729ページ
衣生活 男女ともに木綿織で、冬は綿入の着物を用い、子供は筒(つつ)袖であった。日露戦争後は戦勝の余波をうけて華美となり、元禄風という流行をみた。帯もこのころになると男女ともに兵児帯を結び、また前垂を用いた。洋服はまだ普及せず、男子の防寒用にはインバネスが流行した。履物は薩摩下駄(さつまげた)が多く用いられ、雪駄(せった)や草履(ぞうり)も一般に用いられた。婦人の束髪姿も一般的になり、日露戦争後に娘たちには二〇三高地という髪型が流行し、小学校の女児童には稚児輪が多かった。女学生の海老茶袴の靴姿が見られるのも日露戦争後で、こうもり傘を用いるものもようやくふえた(鷹野つぎ『娘と時代』)。

明治末期女学生(浜松裁縫女学校)