住居 農村では自宅生活者が多かったが、市街では旧家は除いて一般の俸給生活者などは借家住いをするのが普通であった。【共同井戸】路地にはいると長屋があり、井戸(車井戸とつるべ井戸が多い)は共同で用いられた。二階建はまだ珍しく、瓦屋根が多かった。時計の使用も柱時計が使用されるようになった。電灯や電話は便利ではあったが、電柱や電線をひくには費用を要したので、実際に電灯が浜松市内全域に普及するのは明治の末期で、電話も官公署・学校・会社・病院などには設けられたが、個人では商店ぐらいのもので、まだまだ贅沢とされた。なおガスは灯用としては普及しなかった。
(表)富塚村 大正3年 電灯数
燭光数 | 5 | 10 | 16 | 24 | 32 | 50 | 100 |
個数 | 239 | 543 | 166 | 32 | 28 | 44 | 7 |