目次
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第三章 町制の施行と浜松町の発展
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第四節 社会と交通
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第五項 近代化する生活
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衛生思想の普及
明治の病院
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当時、浜名郡の会員数は九十一名、浜松には友施医院(新)・村尾医院(常盤)・熊谷眼科医院(元城)・復明館(松城)・内田産科婦人科医院(田)・一貫堂医院(名残)・池谷医院(田)・内藤医院(利)・篠崎小児科医院(田)・山崎耳鼻咽喉科医院(伝馬)・山田医院(板屋)・本目歯科医院(連尺)・三友堂医院などがあった。また浜名郡新津村野崎(現在当市新橋町)の山内蒙斎は骨接(ほねつぎ)医者として知られた。