浜松同志会

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 また自主的な医師相互の研修団体として遠江医師会があった。【三十二年】その前身は浜松同志会といい、明治三十二年十二月に浜松町字八幡地でペストが発生し翌年七月ごろまでに二十名の死者が出たさい、ペスト病の診断を下した医師は非難攻撃をされ圧迫を被ったのにかんがみ、衛生思想啓蒙運動を目的として生れたのが浜松同志会であった。
 
【ベルツ】同志会は足立謙一郎(足立双松の子、ベルツ博士の門下、明治二十五年はじめての医学士として浜松に開業。『ベルツ日記』によれば二十五年八月ベルツは足立を訪問している。昭和十七年十二月没)をはじめ内藤武雄・福島橘郎らによって結成された。その後浜松医学会と改称したが、三十七年六月遠江医学会(会長足立謙一郎)と再び改称、その後第二次大戦中の一時期をのぞいて遠州一円に会員をひろげ、現在にいたっている(内田六郎『遠江医学会』)。
 
【婦人科医内田みつ】なお、浜松の婦人科医として女医内田みつ(岡山県出身、昭和十五年十一月没、七十四歳)があった。明治三十一年田町で開業(はじめ美甘美津子名で医籍登録をしたらしい)、「職員悉く婦人のみなれば婦人患者に対して至て好都合なり」(明治三十一年十一月二十五日『静岡新報』)と好評であった。みつは長谷川千瀬子とともに三十五年浜松婦人会を創立、みつ方を事務所として日露戦争には犒軍・恤兵・軍人家族・遺族の慰籍等に力をつくしている。